2002年度の海外フライイン、ユジノサハリンスク of AOPA2012手直し


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2002年度の海外フライイン、ユジノサハリンスク

北海道は稚内の北、ユジノサハリンスク空港は稚内から僅か180kmの位置にありますが、
これまで小型機による往来はありませんでした。
そこに空港があれば行ってみたい。!! 
というAOPAメンバーの好奇心は遂に、北海道とユジノサハリンスク空港間の小型機による
集団飛行に成功しました。
これは、この飛行が成功するまでの予想もしなかった現実の記録です。



1・計画

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AOPA-JAPAN では2000年8月、ロシアのウラジオストックへ小型機で集団飛行しています。この時最も苦労した事は航空ガソリンが先方に無い事でした。しかし、ユジノサハリンスクは稚内から僅か180km、、これなら最も小さい小型機やモーターグライダーでも往復できる距離です。
というわけで、2002年度の国際フライインはユジノサハリンスク空港に決定、3ヶ月前から折衝を始めました。しかし、国際情勢、ロシアと日本のがんじがらめの官僚組織は甘くは無かった、、、全ての問題が解決して実際の飛行が可能になったのは出発予定日の僅か1日前だったのです。


2・ロシア側の折衝


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日本に住むロシア人がユジノサハリンスクに住むロシア人を紹介してくれました。彼は実に有能誠実で、彼の力が無かったら今回のフライインは到底成功していなかったでしょう。電子メールによる打ち合わせは100回を超え、彼はモスクワへ何度も電話、日本側からモスクワ宛てに大量のファックスを送信するお膳立てをしてくれました。また、送信するファックスの文面まで考えてくれたのです。

折衝が始まってまもなく、AOPA-JAPAN メンバーの参加機を募集したところ、20機もの希望が寄せられました。海外フライトの願望は大勢の自家用パイロットが持っているにも拘わらず皆諦めていることが判りますしかしこれはロシア空港当局から断られ、最終的には10機までということになりました。小型機にも色々な性能のものがありますが、この様な事情のため、今回はなるべく高性能機はご遠慮を願い、航続距離も短く速度も遅い機体に優先参加をお願いしました。高性能機はいつでも国際フライトが可能なためです。

折衝が進むにつれ稚内からのVFR飛行での直行はどうしても許可が出ません。実際の距離から言えば、稚内とサハリンは
晴れた日にはお互いに望見できる程の距離なのですが、、、しかしこれ、もしロシア人のナビゲーターが同乗していれば多分許可が出るでしょう。昨年の8月、ブラジルから飛んできたモーターグライダーがユジノサハリンスクから稚内経由で新潟まで飛んだ実績があります。このルートの開拓は今後の課題です。

しかし今回、ロシア人ナビゲーターは乗せない、11000フィート以下の低高度を飛行する、という条件は最初から譲ることが出来ないため、ようやく、女満別から通常の飛行ルートに乗って飛行する事でロシア側の許可が下りました。この飛行ルートの最低飛行高度は13800フィートです。しかし、この高度で飛行するためには与圧システムの無い小型機では全員が酸素マスクを被らなければなりません。従って、11000フィートの高度で飛行して良い、という事は今回の特例です。また、ロシア人ナビゲーターを乗せない、という条件も今回の特例です。今回の折衝で我々は2件の特例を得ることに成功しました。官僚組織と折衝する場合、このような前例は非常に重要です。今後の折衝でこの前例は非常に役に立つことでしょう。


3・日本側の折衝

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海外に行く時、避けて通れない所がいわゆるCIQ(税関、入出国管理、検疫)です。そして、税関は財務省、入出国管理は法務省、検疫は厚生労働省、とそれぞれ管轄が違います。大空港ではこの3省庁は並んでいるため特に不便は感じないのですが、地方空港から出発しようとすると大変な苦労をしなければなりません。

驚いたことに、入出国管理はOK、と許可が出ても、検疫は許可出来ない、などという食い違いが頻繁に発生し、お互いの調整は全て我々がしなければなりませんでした。これら省庁間の横の連絡は殆ど無く、相手の電話番号も判らない始末です。

また、許可するしないの条件が定かでなく、相手の虫の居所で許可が出たり出なかったり、、そして最終的に判ったことは、コネがあれば事はまことにスムースに運ぶ、ということです。こういう所にムネオ事件などが入り込む隙があるのです。
また、最初は紋別空港から出発したかったのですが、空港担当者曰く「そういうレジャー目的の飛行に空港は貸せない!」
では、冬場に流氷を見に行くフライトはレジャーではないのでしょうか?帰国する時も、旭川空港でCIQを受けることを提案しました。

丁度その同じ日時に韓国からの臨時便が旭川空港に着陸するため、CIQがセットで旭川空港に出張していたからです。そこで我々も一緒にCIQを受けることが出来れば、お互い無駄なことをしなくて済む、と思ったからです。しかしこの提案、にべもなく断られました。理由は、公の人の要請ではないから・・・・旭川市は市長の要請で韓国からの観光臨時便を受け入れてほしかったのです。

この様に、許可、不許可の判断が個人の裁量に委ねられているため判断にコネが入り込むのです。この様な行政の状況、今の日本が抱えている誠に恥ずべき状況です。行政側は、全ては彼らの所有物で我々はそれを恐る恐る使わせてもらう哀れな民間人である、と思っているのでしょう。全ては我々の納税で成り立っており、彼らはそれを使って我々にサービスを提供する公僕である、という意識を完全に忘れ去っています。


4・フライトのもう一つの目的



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この様な大苦労はありましたが、ようやく出発の前日に全てがクリアー、我々の小型機によるサハリンフライトは実現しました。
また、今回のサハリンフライトは単なる物見遊山ではなく、他に大きな目的がありました。昨年の7月、オホーツク海で墜落した日本の小型機が奇跡的にロシアに救助され、搭乗の4人は全員無傷で生還しました。詳細については、当時NHKのクローズアップ現代で放送されましたのでご記憶の方も多いと思います。サハリンフライトには、この時救助された我々のメンバーが、ロシアの海難救助隊にお礼に行くという目的がありました。このため、我々の訪問はサハリンのマスコミには大変好意的に大きく報道されました。


5・フライトレポート



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以下、このフライトの全てを取り仕切った畑中紀子女史のレポートです。

AOPA-JAPAN 本年度のメインイベントであるユジノサハリンスクへのフライトが8月2日から5日に亘り実施、参加8機、無事帰国し全ての日程を成功裡に終えることが出来ました。
前号のニュースレターや6月の総会時に御報告した通り、準備段階から出発直前まで困難の連続でしたが今橋理事と野村理事の粘り強い交渉と誠意の積み重ねで実現の運びとなりました。ロシア側の受け入れは2年前のウラジオストックフライトに続き今回もイワニッキ氏の多大なる協力を頂きました。イワニッキさんを通して Loktev さんというサハリン航空の若く有能なナビゲーターを紹介して頂き、彼の努力のおかげで親善フライトという異例な形でモスクワ当局の許可が下りたのでした。

一方日本側では、8月3日朝、女満別から離陸するためにはどうしても前日通関という手続きを採らなければなりません。そのための関係省庁との折衝は困難を極めました。野村理事がこの交渉に当たって下さり、こちらも山の様な書類を作り1日中電話で交渉すること3週間、ようやく7月26日になって、函館で前日通関することが全てクリアーになりました

待ちに待ったロシア政府からの正式なフライト許可が7月26日深夜、FAXにてモスクワより届きました。ロシア航空局の計らいで通常より一週間早く許可が下りました。今までの例でいくと、これは本当に異例のことと言えるでしょう。この時点でようやく私達のサハリンフライトは確定のものとなったのでした。

ここに辿り着くまでは今橋理事にとって長い二ヶ月の道のりでした。毎日毎日サハリンの Loktev さんと Email のやりとり、この間の mail は100通を越えています。Loktev さんは孤軍奮闘、頑張ってロシア航空局に頼んでロシアでは異例ともいえる、商業フライトではない親善フライトの許可を得ることに成功しました。また、札幌管制の黒田管制官も今回のフライトに同乗して頂き管制の面で大きな力となってくださいました。

このように多くの方々がサポーターになって支えていただき、ようやく実現したサハリンフライトでした。



8月2日(金)午前、全国より参加8機33名が次々と晴天の函館空港に着陸、正午、全員揃って国際線ターミナルにて前日出国手続きをしました。その後、途中ダイコロ愛別空港にて給油ののち女満別空港へ。女満別空港では野村理事がダイコロより陸送してくれた燃料を再び給油。そして野村理事は全機の書類を持って網走の税関に出国手続きに車を飛ばしてくれました。

夜、宿舎の北見でのホテル心尽くしの夕食をいただきその後ミーティング。黒田管制官からロシアのATCの違いなどをレクチャーして頂きました。

8月3日(土)翌朝皆、はやる心を抑えて空港へ、、お昼の弁当もコンビニでしっかり買い込みました。1番機は9時35分予定通り一路ユジノサハリンスクへ向けて Take Off その後7機の機体も続きます。最後の機体が見えなくなるまで野村理事が女満別空港で見送ってくれました。

約1時間30分のフライトのあと無事ユジノサハリンスク空港に着陸、たった1時間余のフライトで降りた地は暗く寒い風の吹く冬でした。

空港では2年前のウラジオストックフライトの時と同様、黒田義久総領事と奥様が花束を持って私達を待っていて下さいました。

機体チェック、パスポートチェックのあと空港の外へ、、、観光買物組と、今回のフライトの目的のひとつである、昨年8月ピラタス機事故時の、山縣、居田、菊川会員救助のお礼に救難センターに向かう組に分かれました。NHKサハリン支局の段取りで夕刻ホテルにて、彼らの救助を当時指揮して下さったセンターの方々と山縣さんとの感激の対面となりました。

20時より市内のレストランにて盛大な夕食会が開かれました。黒田総領事ご夫妻をはじめさきの救難センターの所長さん達、そして今回尽力して下さった Loktev さん、また黒田管制官のお知り合いの方々でボランティアで通訳をして下さった現地の日系の方々、会場に入りきれない程大勢の皆さまに集まっていただいての夕食会でした。美味しいロシアンウオッカ、シャンペン、ビールを飲みつつサハリンの夜は更けていきました。

8月4日(日)今朝も曇り空、サハリンに別れを告げて正午より次々に離陸、間もなく快晴の北海道の空の下、再びダイコロ愛別空港で燃料給油ののち函館に全機着陸、入国手続きのあと函館でもう一泊、翌日全機それぞれの基地へ帰着し今回の我々のサハリンフライトは終了しました。

このフライトの実現に向けて多くの方々のご協力を頂き、この不可能とも思えるロシアサハリンへの友好フライトが実現しました。ご協力を頂いた多くの関係者に御礼申しあげます。そして2ヶ月にわたり連日連夜ロシアとの折衝にあたって下さった今橋理事、北海道の関係省庁と交渉して下さり出発時は地上でのサポート役で走り回って下さった野村理事、本当に有難うございました。

そしてなにより、参加して下さった勇気あるパイロットの皆さま、有難うございました。 畑仲紀子 記

無事故で無事終了したユジノサハリンスクフライトですが、最後にロシア側から寄せられたコメントを掲載します。
安全なフライトのためにも今後益々の技量向上に努力しましょう。

Yuzhno-Sakhalinsk ATC let me to listen the record of radio-communication of some aircrafts of AOPA Japan.
They also, showed me a video-record of radar-screen. I saw the real track of each aircraft.
Some your pilots could not understand simple English words and could not navigate themselves.
However, most of AOPA Japan pilots know English well and can navigate themselves.
Some of your pilots - are high professional pilots (Yuzhno-Sakhalinsk ATC told that).

ユジノサハリンスクATCは、AOPA-JAPAN航空機との交信記録を私に聞かせてくれた。又、レーダースクリーンのビデオ録画も見せてくれたので、私はそれぞれの航空機の実際の飛行経路を見ることが出来た。或るパイロットは殆ど英語を理解せずナビゲーションも出来なかったが、大部分のパイロットは英語を良く理解しナビゲーションも良好、又、一部のパイロットは高度な専門家だった。