AOPAフィリピンフライトに参加して  of AOPA2012手直し


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AOPAフィリピンフライトに参加して (会員 内海 通)


 初対面の人に何をされているのですか?と訊ねられると、衝動的に飛行家兼狩猟家ですと答えたくなりますが、私のように日々の糧をえるために毎日働かざるを得ない者がおこがましいので、いつも単に眼医者をやっていますと言ってしまいます。生来自然の中に身を置くのが大好きな私ですが、少しだけ古き良き時代の飛行家の真似をするために、AOPAのフィリピンフライトにお供させていただきまし
た。今回は元米空軍基地のクラークと、リゾート地のボラカイ島の探検です。

 飛行ルートは、まず私と石和田氏の二人がJA3992 マリブで調布を出発、鹿児島で坂下氏を乗せて那覇まで飛びました。那覇で畑仲さん及びソウルから飛んで来たN168LP TB21 のキャロル氏、AOPA KOREA のリー会長、チョン氏と合流。翌朝2 機で石垣島へ行き CIQ 、12 時50 分石垣島をフルタンクで離陸後FL160 へ上昇しながら南下し、宮古島からフィリピンのルソン島北端のラオアグまで行っているエアーウェイB462 にインターセプトして、コース217 でSADEK、MEVIN、という位置通報点を通過、フィリピンへ向かいました。

 上昇中に積雲を通過する際結構な揺れがあった以外は終始快適な飛行でした。太平洋上は所々にちょ
うど我々の高度位まで発達した積雲の塊りがあるものの、常時晴天で南に行くにしたがい空と海の青さと雲の感じが南洋の雰囲気になり、とても素敵な気分でした。とはいっても、眼下の太平洋には島影は無く、大海原はどこまでもつづき船の姿はどこにもありません。幸い海上に白波は立っていませんが、この高さからはうねりの状態は確認できません。出発直前に届いたウインスロウの6 人用救命ボートと防水バッグに入れたレンタル衛星電話及び予備GPS を積み、腕にはブライトリングエマージェンシーをしているものの、エンジン計器が気になることしきりでありました。

 いずれにしても70 年近く前に敵と交戦するために、この海を当時の単発機で渡った人々に比べれば、これは危険とはいえぬと考えることにしました。
 真西からの風に押されGS はだいたい160 ノットでしたが、後半フィリピン北方の島々が現れてくる頃には、風が変わり序々に加速、石垣島を出て3 時間後にはラオアグに達しました。その後ルソン島西海岸のサンフェルナンドを経由して目的地クラークの40 マイル手前で降下をリクエスト、10000ft、6000ft と下げてもらい、最終的にはクラークへVOR、ILS、runway02R アプローチで現地時間16 時ちょうどの着陸となりました。

 駐機をしてすぐにホテルに向かいました。ご存知のようにクラーク空港は元アメリカ空軍の基地であり、周辺の軍人住宅地域が現在高級住宅地となっているようで、我々のホテルもこの一角にあります。ホリデイインにしては落ち着いたなかなかいいホテルです。

 着替えを済ませ素敵な女性がサービスするバーでサンミゲールをやっているとすぐ夕方、夕食はフィリピンAOPA のROA 氏の誕生日お祝いガーデンパーティです。生バンドつきのブッフェでホットエアバルーンフェスタの参加者が総勢百名以上の大パーティでしたが、気温20 度で適度な湿度、ほぼ無風、遠くから流れてくるのはフィリピン風スローミュージック、パリパリ皮つき仔豚の丸焼きや魚介パエリヤを味わっていると、かつてのスペインの連中がここを気に入ったわけが分かる気がしました。正直言って乾季の南洋の夜がこんなにいいものとは知りませんでした。

 一夜明けて翌日は朝からASSEAN IAOPASUMMIT MEETING 。定刻より1 時間ほど遅れて会議は始まりました。会長挨拶、フィリピン政府高官の紹介につづきその高官のスピーチ、GA 及び航空界のためにいい事をいっぱい計画しているというお話でした。次に私たち外国からのメンバー 一人一人の紹介があったあと、アトラクションつきランチです。航空整備士の女性がベリーダンスを披露してくれましたが、なかなかのダンスと彼女が美しかったのが一番印象に残りました。GA の発展のために意見を戦わす場というよりは、勿論それでいいのですがセレモニー的な会議でした。

 午後からはプールサイドでビール、マッサージと終始海パン状態で過ごし、夕方、空港へバルーン見学、着替えをしてからの夕食はホテルの最上階のレストランで赤ワインとステーキをいただきましたレアのアメリカンビーフはなかなかのものでした。

 翌朝はフィリピンの新進リゾートであるボラカイ島へ出発です。
 もともと自然の中に身をおくのが大好きな私ですが、少しだけ古き良き時代の飛行家の真似をするために、AOPA のフィリピンフライトにお供させていただきました。今回はクラークで2 日間楽しんだ後、フィリピンの新進リゾートであるボラカイ島へ出発です。

 クラーク飛行場に集まったのはROA 氏たちのバロン、A36、マレーシアから来た172、タイからのムーニー、など我々を含め6 機です。それぞれに準備を整えてから順番にATC クリアランスをリクエストして、クリアランスを待ちながら3kmはある長いタクシーです。目的飛行場はマニラの南160 マイル、パナイ島北端のカティクラン空港で高度はFL150 で飛びます。

 程なくクリアランスが出て我々のマリブはセスナ、バロンにつづき3 番目の離陸、SID で上昇中にマニラを経由しないダイレクト経路を指示されました。これによりマニラの町を左下に見ながら、かつて夕日で有名だったマニラ湾上空を南下します、マニラは高層ビルのたくさんある立派な都会でした。タヤバス湾に出て1 万ft 近い高い山のあるミンドロ島の東側、タブラス海峡上空をさらに南下します。島のジャングルの緑と、静かな青い海の上にポコポコ浮かぶ真っ白な雲がきれいです。

 たしかバロンが8000ft にいるので、1 万をリクエストして降下開始、1 万ft に到達したときには、目的地までもういくらもありません。またやってしまった!高度処理が大変だ。すぐキャンセルIFR して、ギアダウン、やっと2000ft まで降ろした時には、パナイ島の北側にくっつくように浮かぶ私達の目的地、ボラカイ島の真上でした。

 ボラカイ島は南北に細長い小さな島で、たくさんのボートが浮かぶ遠浅の海と背の高いヤシの木の立派な林、その間に細長く続く白い砂のビーチが印象的でした。東風がやや強く、カティクラン空港のランウェイはこの島の対岸に東西に伸びているので、1000ft に降下しライトターンでレフトダウンウインドに入り900m 程の短い滑走路に着陸しました。

 空港のあるパナイ島からボートに乗りボラカイ島に上陸、ホテルへは軽トラ改造8 人乗りオープンエアータクシーで移動します。途中現地人住居地域を通るのですが、整地もしていない荒地に基礎も何も無い竹製高床掘っ立て小屋がたくさんあって、ここ2 千年ほど何も変化してないでしょうという感じで少し気持ちが暗くなるとともに、これは子供達にも一度見せておかなくてはと思いました。

 ホテルはSEA WIND というなかなかいい名のホテルでした。規模は小さく素朴ですが、結構おしゃれにデザインされており、砂浜にそのままつづく敷地に海に向かってオープンエアーレストラン、プール、その先にビーチバー、さらにヤシの木陰のマットふかふかデッキチェアーと海辺の優雅な休日を演出するための大道具、小道具はすべて揃っています。またこの島の売りであるきめ細かく真っ白できれいな砂や、背の高いヤシの木など元からある自然の要素を実にうまく取り込んだ雰囲気作りがされています。これに比べると、沖縄あたりにある莫大な資金をつぎ込んでいるにもかかわらず、そこかしこに温泉観光ホテルのムードが漂うリゾートらしきものが、とても情けなく思えるのは私だけでしょうか。部屋はプールの向かいのコテージで、白壁にかやぶき屋根、エアコンの音が少しうるさいのと、シャワーの水圧が足りないことを除けば、内装、外観ともにシンプルかつきれいで、充分くつろげました。

 ビーチバーでブラディーメアリーを一杯やってから、早速島の探検です。畑仲さん、坂下、石和田両氏と連れ立って、島の中心であるD モールへ道幅4 メートルほどの島唯一の舗装路を、トライシクルで向かいます。トライシクルとは125cc ほどのバイクの横に最大6 人乗車可能の大型屋根付きサイドカーが付いているものです。せいぜい時速20 キロほどで走り料金は1 ドル弱ですが、子供の頃茅ヶ崎駅から祖母と乗った、動力輪タクを思い出し、懐かしさにちょっと胸がくすぐられました。

 約5 分のライドでD モールに到着です。ここは舗装路から海辺までの広い砂地に縦横に散歩径を造り、その両サイドに小店舗群を乱立させているものです。店舗には、小物屋、衣類店、水着屋、ダイビングショップにオープンカフェ、バー、テラスレストラン更には、デリやワインショップまで何でもあり、それぞれが装飾に趣向を凝らし、少なくともパッと見は清潔かつかなりおしゃれです。

 みなさんサングラスやバッグなどを買われたようですが、私もお目当ての店を見つけました。その店はフィシングボラカイといいます。壁にかかったカツオやロウニンアジを釣り上げてニッコリ笑っているお客さんの写真と、6 本ほどの誇らしげに立てかけたフィシングロッドに囲まれて、店の真ん中に置かれたデスクに突っ伏して若い男が眠っています。「今の季節、ディープシーフィッシングはどんな具合?」久々のお客の登場によほどびっくりしたらしく「イエッサー、OK、OK、」と慌てています。彼との話で、島には本格的なトローリング用のモータークルーザーは存在しない事、トローリングはいつもサイドリガーの付いた地元のボートで沖に出てやっていて、一月ほど前に日本人の小学生が大きなカツオを釣り上げた事、ボートに飲み物の用意はないが、彼自身が氷浸けにしたサンミゲールを持ってくる事などが分かりました。「で、いくら?」「150 ドルです、サー。半額前金で頂きたいのですが、サー。」「その必要はないと思う。明日の一日は僕達にとってもとても貴重な時間だ。明朝6 時にホテル前の波打ち際で必ず会おう。」「イエッサー。」

 フィッシングガイドの店を後にしてビーチの前の2階のテラスにあるバーで再度1 杯やることになりました。ヤシの葉ごしに海に沈む夕日を見ながら、日焼けでちょっぴりほてった頬を、そよ風に撫でられるここちよさをまた味わってしまいました。

 夜が明けて間もない5 時55 分沖のほうから舳先をこちらに向けて1 艘のボートが現れました。ボートには例のフィッシングガイドの他、パイレーツオブカリビアンにそのまんま出演可能な感じの地元漁師が3 人のっています。しかし冒険飛行家の石和田氏と私はビビったところはちっともみせず、このコロニアルな雰囲気を精一杯楽しむことに決めてスキップで乗船しました。【事務局注】ツアコンの畑仲としては内海・石和田両氏の無事な帰還を祈って少々頼りなげな船を見送りました。

 沖に出てトローリングを開始します、ガイドが取り出したルアーは長さ15 センチほどの魚の形をしたミノーです。これをつけた釣り糸を2 本船尾から引いて船を低速で走らせます。ロッドホルダーはないので、釣竿は彼らに持たせ当たりがあるまで我々は南洋の外国人を気取って、サンミゲールを片手に談笑です。計画では悪くてもカツオの群れがやって来てピチピチカツオタタキ10 人前ゲット、良ければキワダマグロかはたまたカジキのお出ましと思ったのですが、ルアーを換えたりしても、結局1 回も当たりはありませんでした。自然豊かな外洋と言っても、周りを島々に囲まれた海、大型回遊魚の気配は薄いようでした。海底が深海から一気にかけあがり、しかも黒潮に洗われる日本の海がいかに豊かかということを再認識しました。

 帰りはnami という名のホテルで途中下船しました。ここは断崖に、自然を生かしながら上手に造られた高級ホテルです。レストランへはビーチから工事用のような特設エレベーターで上がります。水平線を見渡しながらのシャンパンブランチで、シーザースサラダや羊のローストとともにmoet をしこたま頂いてしまいました。

 sea wind に戻って午後はずっとビーチに寝そべりながら、やって来る行商マッサージおばさんにマッサージをお願いしたり。ジェトスキー? スキューバダイビング?or good looking girl? とか言ってくる肥満体のビーチボーイをからかったりして過ごしていました。するとセブから飛んで来た白と赤にきれいに塗られた石田さんのチェロキー6 が低空を通過して行きます。下で聞いているとレシプロエンジンの音というのはのどかでどこか懐かしくて、とてもいいものですよね?

 石田さんは皆さんご存知のとおり、フィリピンのセブ空港で遊覧、チャーターフライト、飛行訓練などを行うトップフライトという航空輸送会社を経営するパイロットで、aopa メンバーです。今回は九州のaopaメンバー久原さんと一緒にここボラカイで我々と合流です。

 夕日が遠くの水平線に沈みゆくころホテル前のビーチにはテーブルセッティングがされ、トーチが焚かれてRoa さん主催の野外パーティーが始まりました。集まっているのは一緒にクラークから飛んできた各国aopa の連中の他、ホットエアーバルーンのパイロット達と石田さん一行の30 名ほどです。風に揺れるやしの葉の音や、渚によせる波の音も南洋情緒いっぱいでしたが。眼光鋭く、浅黒い肌に細めのムスタッシュの、チョイワルオヤジというかチョイ怪( アヤ) 南洋邦人の石田さんの風貌と、彼が休みなしにしゃべりまくる飛行機海洋大スペクタクル冒険談に南洋のロマンをかきたてられたのは、私だけではないはずです。パーティーがお開きになるころには足元ふらふら、ああ明日も那覇に向かって飛行機を飛ばせる、幸せだなあ。

 翌朝はホテルの前からモーターボートで直接空港に向かいました。着いてすぐにフライトプランを出し準備をして出発です。7 機のaopa 機はタイ、マレーシア、マニラ、セブへとそれぞれに離陸していきます。我々の目的飛行場はクラークです。09:05 ランウェイ06 から離陸。そのまま北東へ飛行してMINOR でB473 にインターセプトしマニラに向かうプランでしたが、上空で受けたクリアランスは“cleared to clark join B473 100mile south of manila then flight planed route.”というものでした。これによりすぐにレフトターンし北へ向かい約30 マイル先でB473 に直接インターセプトするというショートカットができました。マニラの真上を通過し、クラークを視認したところでIFR をキャンセルしクラークへは10:35 に着陸しました。

 給油とCIQ とトイレを済ませて、11:55 に離陸し那覇へ向かいます。途中太平洋上ではフィリピンや日本の管制レーダーが届かず、管制官に我々の姿は見えません。そこで位置通報点のMEVIN において、那覇コントロールにMEVIN 通過の時刻とその時の高度、及び次の位置通報点であるSADEK の到着予定時刻を通報することにより、我々の現在位置と今後の予想位置を管制官に把握してもらう必要があります。しかしFL170 という低い高度では我々に那覇コントロールの声は受信できても、こちらの送信は那覇に届きません。しかるに那覇コントロールの周波数を聞いていてFL300 以上にいるエアーラインのうち、近くにいそうな1 機と交信して、位置通報の内容を那覇コントロールに伝言してもらいます。今回はニッポンカーゴの機長が誠に親切ていねいにやってくれました。

 今日も天気のあまり良くない石垣島に着陸して、入国と給油をしてから那覇へ向かいました。那覇のアプローチでは完全にナイトフライトとなり着陸は19:15でした。スポットには川満さんが車で待っていてくれて、駐機後非常にスムースに空港を後にすることができ、彼の案内で市内のすし屋に連れて行ってもらいました。久々の生の魚と日本酒をとてもおいしく頂きました。翌朝は川満さんと畑仲さんに見送られて、早朝に那覇を離陸、鹿児島空港へ坂下さんをお送りしたのち調布に向かいました。西風が強く鹿児島からはGS280 ノットで快調でしたが、調布のランウェイ35へは、左からの横風成分約15 ノットの着陸となりました。

 今回のフィリピンフライトでは夜は連日の野外パーティー、昼間は飛行機を飛ばすか、美しい海辺で飲んだくれるかの毎日で、正に古き良き時代の飛行家の真似は大成功となりました。これもフィリピンのROAさん、沖縄の川満さん、鹿児島の坂下さんそして面倒くさい手続き等準備を全てして下さった会長をはじめ、事務局、そして、付きっ切りで世話をしてくれた保護者の畑仲さんのおかげと深く感謝する次第です。


image.jpg写真のコメント
image1.jpg夜空にライトアップされた各国のバルーン
image2.jpgIAOPA 東南アジアサミットミーティング AOPA-J 7名全員集合 左より坂下会員、Lee 会長、内海会員、 畑仲、キャロル会員、石和田会員、 Choe 理事
image3.jpgホテル Sea Wind
image4.jpgトライシクルに乗ってDモールへ
image5.jpgトローリングにいざ出発!
image6.jpg海底まで透き通って見えるボラカイの海
image7.jpg水平線に沈む夕日を見ながらROAさん主催の野外パーティー